NPOグリーンウッド代表理事(齋藤新)

2025年4月
感情を言葉にできないこどもたち
ニュースや新聞でこどもたちが感情を言葉にできず、暴れたり、物を壊したりすることが増えているという話題を目にします。以前は「キレるこども」と言われており、今に始まったことではありません。
自分の感情を言葉にするのは大人でも難しいことです。まして小学生に感情を言葉にさせることに無理があります。ここで言いたいのは溢れた感情が暴力的な発散に向かってしまうことの問題なのだと思います。
原因は様々あると思いますが、ひとつは心と身体を発散する場がないままに大きくなってしまったからではないでしょうか。小さなころから「あらねばならない」価値観の押し付けが強くなっています。「隣近所に迷惑になるから家の中でも騒がない」「電車では静かに」「公園でも周りに迷惑をかけない」…。自由に遊べるはずの公園もボール遊びが禁止だったり、危険だと思われる遊具が取り払われたり。こどもを取り巻く事件が増えることで、こどもだけで外にいる時間はさらに減っていっています。将来の不安からたくさんの習い事をして、こどもの内にできることを増やす努力を強いられているようにも感じます。
私の小さな頃は今以上に学校は厳しく先生の体罰も当たり前にあり、価値観の押し付けだけで言えば昔の方がよっぽど大変です。もちろん先生に殴られた記憶は思い出すのもつらいですが、自由がなかったかというとそうでもありません。
朝早く学校に行って校庭で自由に遊んだり、休み時間も競うように場所取りをして身体を使って遊んでいました。土曜日や放課後に自主的に残って係の仕事をしたり、学級新聞づくりをしたりという思い出もあります。学校から帰っても外で遊び、時には夜の公園に集まって鉄棒の練習をしたこともありました。学校だけ、家だけが自分の世界の全てではなかったし、こどもの判断に緩やかに任せられていることが多々ありました。今のようなSNSもなかったので社会での「当たり前や普通」に親もこどもも押しつぶされることが少なかったのではないでしょうか。
現代社会は様々な環境の要因から、こどもの自由は奪われています。本来こどもは思う存分身体を使って遊ぶ中で、快や不快、好きや嫌いといった自分の心に自分自身で気づく緩やかな時間が必要なのです。
小学生の低学年などは言葉にすることがまだまだできません。そもそもこどもが理由のない衝動的な行動をとるのは現在に限らず、昔から当たり前のことです。そこに「なぜ?」と理由ばかりを聞かれる戸惑いもあるでしょう。大人と同様の会話でのコミュニケーションばかりを大切にするのはとても危険なことだと思います。まずは感情を言葉にできるようにすることを目的とするのではなく、感情を発散させ、自分の心と出会う体験をたくさんできる場を作りだすことの方が大切なのではないでしょうか。
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