「小規模自治体×自然学校NPOの挑戦 ~今こそ教育立村へ~」 その2
●小規模自治体の英断
この窮状に際し、泰阜村は2020年度、そして2021年度に緊急的にコロナ支援策を講じた。観光業などが皆無に近いため、コロナの影響は一部の飲食業に限られていることもあり、グリーンウッドに対しては優先順位を上げた予算を議会が次々と即決していく。
小さな村を持続可能にしていく戦略的観点からすれば、20人弱の若者を雇用する「優秀な大企業」、しかも交流人口だけではなく関係人口や定住人口の増加まで実現している団体を支援するのは、当然のことといえる。「何もない」といわれ続ける泰阜村が、全国のモデル的NPOであり成功事例の自然学校と注目されるグリーンウッドの未来の可能性に、投資をしたともいえる。
しかしながら筆者はむしろ、学びを止めようとしなかった泰阜村の気風に着目している。それはまさに「小村の英断」ともいうべきものではないかと考えるからだ。
泰阜村は、グリーンウッドの若者スタッフが雇用されずに村を離れてしまう損失を常に頭に置いていた。当然のことながら村長や理事者には、若手スタッフを村役場において臨時雇用するという選択肢もあった。しかし村がとった選択は、「学び」と関係性が薄い役場の仕事をしてもらうよりも、「学び」が主たる目的の仕事をグリーンウッドに発注するというものだった。
一方、グリーンウッドは35年間、地域の教育力を反映したプログラムを実践し続けてきたが、それは主には都市部のこどもたちを対象にしたものだった。NPOを経営的に自立させるには換金性のあるプログラムを提供しなければならないからだ。必然的に、泰阜村のこどもたちに学びを提供する機会は、長期休暇以外の週末や放課後に限られていた。しかし、コロナ禍で都市部からこどもを迎えられない状況に陥り、ならば泰阜村のこどもたちに徹底的に学びを提供しよう、と決断をする。スタッフの全勢力を村のこどもたちに向けられる機会。そんなことは一生に一度の機会かもしれないと、夏冬春の長期休暇はもちろん、放課後や週末など、これでもかというほど、地域の自然をいかした学びを追い求めた。
泰阜村という地域、風土、暮らしの営み、そして村のこどもたちと真正面から向き合った1年という時間。この時間と労力に、泰阜村行政が予算措置を講じたということだ。
もちろん村の予算は潤沢ではない。それにもかかわらずわれわれNPOに優先措置をとるのは、「最も厳しい時にこそ、子どもの未来にお金も気持ちも注ぐ」という魂の言葉「貧すれど貪せず」を、90年の時を経てまさに今、村行政が体現しているといえる。「学びを止めない」という気風を、コロナ禍の今こそ発揮させたことこそ、泰阜村の英断だ。
●政策的な土台を丁寧に築いてきたからこそ
このような気風が、90年後にいきなり再発揮されるわけではない。筆者は、泰阜村が小規模自治体だからこそとり続けてきた「政策的な土台」が、気風の再発揮を可能にしていると考える。
泰阜村は在宅福祉政策を40年ほど前から中心政策に置き続けてきた。「畳の上で死にたい」という村の老人の願いを叶えようという、いわば単純な政策だ。人口に対するヘルパー配置率などが日本一を誇り、質量ともへき地の在宅福祉政策をリードし続けてきた。
この政策の成果は、老人の願いは叶えられたことが第一だ。次に、終末医療にかかる金額が減るため国民健康保険が安くなるという目に見える形で現れた。そして最も重要な成果は、この村が一人一人の尊厳を最後まで守るという強烈なメッセージを政策的に出し続けたことにより醸成された「この村は最後まで守ってくれる」という住民の想いである。
もう一つ、決定的な政策がありました。平成の自治体合併だ。21世紀に入ってすぐ、この村の住民全体が一回試された。本当にこのままでいいのか、大きい町に合併した方が楽ではないのか、ということを全員が決断するプロセスを経た。前村長の松島貞治氏が「合併した方がよい地域は合併すればよい。しかし明らかにこの村の場合は中枢都市の周辺の一部になってしまう。つまり自分たちの地域のことを決める決定権が遠のいてしまうことを意味する。どんな形になったとしても、その権利を手放さしてはいけない、近いところに置くことが大事」と、住民に丁寧に説明を重ねた。合併が反対じゃなくて、合併したっていいから、自分たちのことを決める権利は手放さないようになればよい、そういう政策の設計になってないから、あのときの自治体合併は拒否した、ということだ。
この村の住民は、その真意を自分のものとして支持して自立を選んだ。安易な道、楽な道を選ぶのか、それでも苦しくても自分たちで考える道を選ぶのかを、全員が試されたということだ。
「一人一人の尊厳を最後まで守る」「自分たちの地域の未来は自分たちで決める」という、いわば自律的な精神のあり方を、政策的にカタチにし続けてきた歴史の積み重ねが、「学びを止めない」という気風を土台から支えてきたのではないか、それはとりもなおさず「貧すれど貪せず」という自律の訓えを発揮し続けてきたことではないかと、筆者は考える。
「小規模自治体×自然学校NPOの挑戦 ~今こそ教育立村へ~」 その1
前回のコラムから筆が止まってしまった。いや、いろいろなことがありすぎて、アウトプットに費やす気持ちが足りなかったのかもしれない。すべて言い訳になるのでやめておこう。
さて、今回から3回の連載で、このコロナ禍で考えたことを記していく。2021年7月に「『学び』をとめない自治体の教育行政」(自治体研究社)を共同出版した。その際、私が執筆した文章の原文に、追記などをしたものである。
●魂の言葉「貧すれど貪せず」
これは、人口1600人弱の小さな山村:長野県泰阜村の“魂の言葉”だ。よく耳にする「貧すれば鈍する」という言葉は、「暮らしが貧しくなれば、心までも貧しくなる」という意味で使われるが、“魂の言葉”はそれとは真逆の言葉である。
昭和初期の世界恐慌。泰阜村でも村民の生活は窮乏していた。村では教員に給料を支払えず、給料を村に返上して欲しいと要望が出る。しかし当時の校長は、「お金を出すのはやぶさかではないが、目先の急場をしのぐために使うのではなく、むしろそのお金をもって将来の教育振興に役立てるべきだ」と、将来を担う子どもの情操教育のための美術品購入を村に提言した。「どんなに物がなく生活が苦しくても、心だけは清らかで温かく、豊かでありたい」という考えは、村民のほとんどから賛同を得られたという。
食料やお金が底を突いたその時期、どれだけ苦しかったことでだろう。驚くことに、この小さな村がこのような歴史を繰り返している。日本唯一といわれる泰阜村立学校美術館建立の精神でもある。最も厳しい時にこそ、子どもの未来にお金も気持ちも注ぐべき、という気風が、「貧すれど貪せず」という魂の言葉に載って、泰阜村に暮らす人々に今なお脈々と受け継がれているのだ。
●疲弊しきった山村に希望の灯がともる
長野県泰阜村。今なお国道も信号もコンビニもない。産業も廃れ、若者の流出で疲弊しきった山村を、再生する切り札など存在しないかのようだ。そんな村の住民にとって、「村の自然環境が〝教育〟によい」と考えるNPOが1年間の「山村留学」を実施することは、到底理解できないことだった(1986年)。当時はIターンやNPOという概念がまだ市民権を得ておらず、森林や田畑などの自然を資本にした生業を諦めつつあった村民にとって、彼らは「招かれざるヨソ者」だった。
しかし35年後の今、この「山村留学」やそれを支える「信州こども山賊キャンプ」は社会的事業に成長した。小さな村にあって20人弱の若者を雇用するNPOは「優秀な大企業」だ。スタッフは村に居住し、結婚して家庭も持つ。自治会や消防団等地域を支える組織の担い手としての期待にも応えてきた。ヨソモノの動きに呼応して、村の有志が起業して民宿や農業運営を始めた。さらに、子どもの週末や放課後の体験活動を支える仕組みや、大学生や若者夫婦が自然や民家で学ぶ仕組み等、自主的な活動が次々と組織化され始めている。
このような「自律」への取り組みに刺激され、若者のU・Iターンが増えて(ここ7年間で114人)青年団まで復活した。「山村留学」の卒業生がIターンで村に定住する現象(Sターン)も始まり、村に3つあった限界集落は消滅しつつある。そして村に一つの保育園に待機児童まで出るようになった。まさに「ヨソ者」が行う「教育」が地域再生の中心に位置付き、疲弊しきった山村に希望の灯がともりつつある。
●自然学校NPOの経営が壊滅的に
筆者は、山村留学や自然体験を行うNPO法人グリーンウッド自然体験教育センター(以下グリーンウッド)の代表理事を務めている。同時に、泰阜村総合戦略推進会議の委員長職務代理を務め、「学び」や「ひとづくり」を総合戦略や総合政策に反映させる役割を担っている。本稿では、やや後者の立場に軸足を置きつつ、NPOと行政の立場を行ったり来たりするというハイブリッドな視点から論を展開していきたい。
コロナ禍は、泰阜村にともりつつあった希望の灯を根こそぎ消す勢いだ。1986年からこの泰阜村に根差し、「村の教育力」を自然体験活動(山村留学やキャンプ)に反映し続けてきたグリーンウッドは、35年間で初めて夏・冬キャンプ事業「信州こども山賊キャンプ」の全面中止を余儀なくされた。毎年1200人以上の子どもたちと400人の青年ボランティアが参加する全国屈指のキャンプ。その中止の影響は想像以上に深刻だ。
財政規模が20億程度の小さな泰阜村において、これまで35年間、教育」を産業とするNPO(グリーンウッド)が毎年1億を稼ぎ出してきた。小さな山村において、総収入の8割超が自主財源で経営する、全国でも模範的なNPOとしても注目されている所以だ。
2020年度、グリーンウッドの年間収入の約5割弱を生み出すキャンプ事業が失われた。当然のことながらNPO経営は破壊的な状況となっている。とりわけ、泰阜村に定住した若い職員たちの雇用を守ることが筆頭課題だ。それはそのまま、この村の持続性を守ることに直結する。彼らの解雇はすなわち、彼らがこの村を離れることを意味するからだ。NPO経営と地域の持続性は、表裏一体でもある。
グリーンウッドは、若いスタッフの雇用を守り、コロナ収束後に必ずや良質な教育活動を提供できる戦力を確保しておくために、人件費の極限までの削減、公的支援金の活用、徹底的な支出抑制、緊急寄付のお願い、そして多額の借入金など、様々な経営対策を打ってきた。しかしながら、視界が晴れぬままも2021年度を過ごしているというのが実情だ。
この言葉が今年ほど心に突き刺さる夏はない
今年も変わらず、8月にはヒロシマ、ナガサキの日がめぐってくる。6日と9日に、静かに黙祷した。76年前の夏も、こんなにも暑く、そしてこんなにも無力感に襲われる夏だったのだろうか。
泰阜村は、満蒙開拓、植林、減反、自治体合併・・・、常に国策に翻弄されてきた村だ。それが、生産性がない(経済的尺度ではの話だが)と切り捨てられてきた小さな山村の現状である。そして、被災地や沖縄に暮らす人々も、コロナに立ち向かう市井の人々も、そして行き場を失うこどもと若者も、いま、国策に翻弄され続けている。国が強くなろうとするとき、そして国が大きな危機に直面するとき、常に犠牲になるのはより弱いものだ。戦争の本質は、「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」だろう。
両日の黙祷は、けっして原爆で命を絶たれた人びとへの想いだけではない。度重なる自然災害で被災した人びとへの想い。声を上げても上げても政府に届かないと、あきらめが支配しそうな沖縄の人々の想い。コロナ禍で、この国の政治は何を最優先するのかを目の当たりにし続けた、怒りに満ちた市井の人々の想い。そして、いままた繰り返される「負の連鎖」におそれおののく弱い立場の人びとや地域へ、もう一度想いをめぐらす契機にならなければならないと、強く思う。
自然や人間関係、そして暮らし。そもそもそれらは不便で危険がつきまとうものだ。言葉を換えれば、「想い通りにならないこと」ということになる。想い通りにならないからといって、強引に、力に任せて、理不尽に、想い通りにしてしまうことは、愚の骨頂だ。でも戦争や紛争はそうして起こってきた。あおり運転、こども虐待、イジメに通り魔…、日々の様々な悲しい事件も、きっとそうして勃発している。
「想い通りにならないことを楽しむ」
この言葉が、今年ほど心に突き刺さる夏はない。このセンスこそ、これからの時代に必要なもののひとつだと信じて、山賊キャンプを開催し続けてきた。山賊キャンプに参加して、「想い通りにならないものを楽しむセンス」を培った子どもたちは、きっと戦争や紛争を起こさないだろうな、少なくとも分断を煽るような振る舞いはしないだろうなと、半ば確信的な想いを持っている。私はこれらのセンスを帯びた平和な世界をイメージして、子どもたちと山賊キャンプを行っている。
今年、山賊キャンプを再開することができた。再開実現たのめに尽力いただいたすべての皆さんに、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。冒頭にお伝えすべき言葉ですが、お許しください。
コロナの影響もあり縮小に部分中止を重ねた。参加者は例年の10分の1をはるかに下回る。NPO経営は2年連続で壊滅的だが、そのことはいずれまた記したい。今、コロナから逃れてきたこどもたちが、少人数ではあるけれど、未来に不安を背負ってそれでも泰阜村で元気に遊んでいる。彼らの未来をどう考えるのか、彼らの未来を私たち大人がどう語るのか、それが試されている。
想い通りにならない夏。
子どもたちと山賊キャンプを再開できたことを、心の底から幸せに想う。唇固く微笑んで、未来を見つめたい。
今、「希望と未来」を語るんだ ~NPO法人化20周年にやるべきこと~
5月は私の誕生月だった。
51回目を迎える。人生にとって、ものごとにとって、節目はどんな意味を持つんだろう。震災から5年、10年にどんな意味があるのか。考えても答えが見つからないものもある。一方で、やはり節目や区切りは意味があるな、と想うものもある。
4月21日。
私たちにとっては、少々特別な日でもある。20年前のこの日、2001年4月21日。私たちはNPO法人化した。それまでは任意団体として活動してきた。何がなんでもNPO法人に!というわけでもなかった。何でもよかったというと語弊がある。が、ちょうどNPO法が施行されたタイミングだった。その時点での私たちの考えと、NPO法の趣旨がある程度一致した。
21世紀に切り替わる時代。
そのころ、中央教育審議会や生涯学習審議会で「生きる力」が提唱されていた。国全体に、青少年の体験活動を強く推し進める雰囲気が漂っていた。その真っただ中に、時代の流れに押されるように法人化。まだ私も30歳前後。今は年配のスタッフもまだまだ若かった。勢いがあったのかな。
そのころ、どんな文章を書いていたのだろうとふと想う。
私は1999年7月からグリーンウッドのHPにコラムを書き続けている。20年前のコラムをのぞいてみる。とがっている(笑)もう、一所懸命、必死な文章だ。でも、30歳そこそこでしか書けない文章、発せない言葉なんだと想う。自分にもこんな時があったんだな(笑) やっぱり文字は残しておくべきだと想う。※HPの私のコラムに入ると読めるのでご笑覧ください(笑) 文章が若くて若くて…
20年前の2001年4月に法人化。
10年前の2011年4月は東日本大震災直後。今はあたりまえとなった私の大学授業も4月からスタートしている。法人化とは関係ないが、30年前、40年前、50年前と、想い出してみるに、大きなできごとの前後と重なっていた。節目に意味があるのかと想うが、俯瞰してみると一定の法則みたいなものがあるのかもしれない。
今、2021年。
コロナ禍真っただ中で迎えたNPO法人化20年の節目。祝賀会などやってる場合じゃない。
視界が晴れぬまま、2年目の低空飛行に入っている。いつ燃料が切れるのか、いつ方向感覚を失ってしまうのか、その恐怖と向き合い続けている。今こそ、20年という時の試練に耐え抜いた実践の価値が問われる。20年前のようなはじける言葉はもう書けない。しかし「天命を知る」50歳代だからこそ書けることがあるのだろう。この危機的状況をいかに乗り切ろうとしているかを、記録しなければ、書かなければ、発信しなければ。
厳しい現実を受け止め、世に問うんだ。
次のステージ、未来を提唱するんだ。“言葉を産み出す時間がない”と「後まわし」にしたくなる。が、その「後で」は、永遠に訪れない。苦しいけど、今、未来を語るんだ。
丁寧に言葉に紡ぐことをあきらめてはいけない。
視界が晴れたその先に、混沌とした営みのその先に、きらめく言葉が産まれると信じている。
20周年にやるべきことは「発信と提唱」だ。
「暮らしの学び」の火は絶対に消さない ~代表:辻だいちから炎のメッセージ~
「僕自身は経験のない額の借金に連帯保証人の判を押しました。手が震えましたが押したら腹が据わりました。これは新しい方向に踏み出せという天の声なんだと」
BE-PALというアウトドア雑誌(4月号)に大きく掲載された。小学館発行の老舗雑誌で、10万部以上発行されている。冒頭の言葉は、その記事の中で、私が語っている言葉だ。
コロナ禍は、私たちの息の根を止める勢いだ。1986年からこの泰阜村に根差し、「村の教育力」を自然体験活動(山村留学やキャンプ)に反映し続けてきたグリーンウッド。昨年度、35年間で初めて夏・冬キャンプ事業「信州こども山賊キャンプ」の全面中止を余儀なくされた。毎年1200人以上の子どもたちと400人の青年ボランティアが参加する全国屈指のキャンプ。その中止の影響は想像以上に深刻だ。
財政規模が20億程度の小さな泰阜村において、「教育」を産業とするNPOが毎年1億を稼ぎ出してきた。小さな山村において、総収入の8割超が自主財源で経営する、全国でも模範的なNPOとしても注目されている所以だ。
しかし2020年度、グリーンウッドの年間収入の約5割弱を生み出すキャンプ事業が失われた。当然のことながらNPO経営は破壊的な状況が続いている。とりわけ、泰阜村に定住した若い職員たちの雇用を守ることが筆頭課題だ。それはそのまま、この村の持続性を守ることに直結する。彼らの解雇はすなわち、彼らがこの村を離れることを意味するからだ。NPO経営と地域の持続性は、表裏一体でもある。
若いスタッフの雇用を守る。コロナ収束後に必ずや良質な教育活動を提供できる戦力を確保しておく。そのために、人件費の極限までの削減、公的支援金の活用、徹底的な支出抑制、緊急寄付のお願い、そして多額の借入金など、様々な経営対策を打ってきた。しかしながら、視界が晴れぬままも2021年度を迎えているというのが実情だ。
そして、私たち以上に、息の根を止められそうなのは「こどもの学び」だ。また緊急事態宣言が出た。目を覆いたくなるような日本政治の失態。国民に「あきらめ」と「無関心」を学習させてしまった政治の罪は重い。それでもこの現実から目をそらしてはいけない。なんとしてでも「こどもの学び」を止めない。そのためには、私たちが止まってはいけない。この気概だけは持ち続けなければ。
今夏、信州こども山賊キャンプを再開する。こどもの学びを止めてはいけないからだ。感染症対策を講じると、規模が5分の1となる。当然のことながら、経営は待ったなしで悪化の一度をたどる。しかも三度目の緊急事態宣言が追い打ちをかける。いったいどうしろというのか。途方にくれる自分がいるのもまた現実だ。
「貧すれど貪せず」
いくどとなく紹介している泰阜村の“魂の言葉”だ。
昭和初期の世界恐慌。泰阜村でも村民の生活は窮乏していた。村では教員に給料を支払えず、給料を村に返上して欲しいと要望が出る。しかし当時の校長は、「お金を出すのはやぶさかではないが、目先の急場をしのぐために使うのではなく、むしろそのお金をもって将来の教育振興に役立てるべきだ」と、将来を担う子どもの情操教育のための美術品購入を村に提言した。「どんなに物がなく生活が苦しくても、心だけは清らかで温かく、豊かでありたい」という考えは、村民のほとんどから賛同を得られたという。最も厳しい時にこそ、子どもの未来にお金も気持ちも注ぐべき、という気風が、「貧すれど貪せず」という魂の言葉に載って、泰阜村に暮らす人々に今なお脈々と受け継がれている。
「貧すれど貪せず」というこの言葉は、コロナ禍の今こそ発揮される行動指針だろう。「最も厳しい時にこそ、子どもの未来にお金も気持ちも注ぐ」 これが泰阜村の訓(おし)えだ。
苦しい現実を受け止め、学びを止めず、次の行動指針を自ら創り出す。したたかに未来を産み出す気概が、今、求められている、試されている。
昨年度、多くの支援金・寄付金をいただいた。泰阜村やグリーンウッドに関わる人々、暮らしの学校「だいだらぼっち」や山賊キャンプの参加者たち、そして東北や熊本など被災地のひとびとからも。感動に打ち震えている。多くの人に「暮らしの学び」を支えてもらっている。本当に感謝している。しかし、それだけではいけない。いかに多くの人に学んでもらえるか、を追い求めなければ。このピンチ・逆境を、これまでアクセスできなかった多くのひとびとに、「暮らしの学び」を届けるまたとないチャンスととらえよう。まさに「自律のひとづくり」というNPOグリーンウッドのミッションに沿うものだろう。
改めて心からお願いをします。グリーンウッドは2021年度も、緊急寄付を募っています。35年の実績・ノウハウを社会に還元すべく全国的な講演活動の挑戦も開始しました。どうか“未来への熱意”をお寄せいただきたくお願い申し上げます。私たちが積み重ねた学びを、世のため人のために役立たせていただきたく、お願い申し上げます。35年の営みを、私たちが積み重ねてきた学びを、世のため人のために役立たせていただきたいと心からお願いします。
BE-PALの続きです。
「ではなにができるのか。思い当たったのがスタッフのスキルです。これまで講演や大学の講義、指導者養成などの声がかかると、比較的動きやすい立場の僕が出かけていたんですが、受けきれないお話も多かった。でも、考えてみればうちのベテランスタッフはともにノウハウを磨いてきた専門家。教育技術、イベント計画、リスクマネジメント、NPO会計、地域づくりとさまざまなプロがいます。
GW全体のスキルを可視化したうえで、スタッフをアドバイザーとして派遣する事業を始めたところです。まさに貧すれど貪せずの精神。体験教育の火は絶対に消しません」
ぜひご検討ください。ご連絡をお待ちしています。
昨年の秋、母校の大学から依頼があった。卒業生のインタビューに出てほしい、ということだ。
「北大人群像~フロンティア精神の体現者たち~」という企画サイト。卒業生を紹介するインタビュー&動画サイトだ。サイトの動画を見て、その質の高さに驚く。私の住む村や職場がどのような映像になるのかという興味もあった。しかし、同じページに宇宙飛行士の毛利衛さんなんかもいて、正直なところ私なんかでいいのかなと想ったのも事実。よくよく見れば、各学部から一人ずつ代表者のように登場している。
現在の学科長のメールには「辻君がユニークな卒業生1位」と記してあった(笑) その後、広報担当者からの話をかけあわせてみると…。教育学部が輩出するイメージとはかけ離れた、奇想天外な生き方をしている卒業生、というのが、私の理解だ(笑) それでも、素敵な生き方をしている学部卒業生はいくらでもいるなかで、ほんとに俺なんかでいいのかな、と戸惑いもした。しかし、一生に一度のお誘いだ。よしやってみようと、承諾の返信を送った。
それから4か月。公開された公式サイトのページを見た。俺、老けたなあ(笑) それが最初に想ったことだ。映像は正直だということだろう。同時に、なんだかすごく感動した。自分に、ではない。素敵な音と映像に、だ。まずい顔を話の内容を、完全にカバーしてくれている。そして、私を信州へと送り出してくれた、北の大地のソコヂカラに。
インタビューテキストと、2種類の動画(ショートバージョンとロングバージョン)の3つで「1セット」と感じた。ショート動画で収録できないことを、ロング動画に収録。それでも収録できないことは、テキストに掲載されている。基本的には北大の学生や、北大を目指す高校生に向けた企画だ。北大のPRの意味合いが強いので、「北大愛」をかなり語っていることはご容赦を。
しかし、私は北大PRだけのつもりで依頼を受けていない。とりわけ動画の後半部分で強めに話した「関係性の学力」は、全国のこどもや若者への炎のメッセージであることは、お気づきになったと想う。「暮らしの学校だいだらぼっち」でも、「信州こども山賊キャンプ」でも、そして私が受け持つ数々の大学の授業でも(対面だろうがオンラインだろうが)、この関係性の学力を培ってもらうために、渾身の力を振り絞ってきた。今回の企画を通して、この想いが世に出ることは、本望だ。
誰も知らない土地で挑戦したいと
雄大な自然に抱かれた北海道へ
・・・福井県の自然豊かな田舎で生まれ、子どもの頃から山登りや川遊びをして育ったので、北海道の雄大な自然への憧れがありました。また、人生の大きな選択肢において、誰も知らない土地で挑戦してみたいというアウトロー的な気持ちもあったので、同級生たちが東京や大阪、名古屋などへ進学を希望する中、私は北海道大学を目指しました。もともと地元が豪雪地帯だったので、周囲からは「なぜわざわざ北へ行くの!?」と驚かれましたね(笑)
受験当時は今のように豊富な情報がなく、思い描いていた北大は、大平原にぽつんとあるような北海道のイメージそのものでしたが、初めて訪れた時は「札幌がこんなに大都会なんて!」とびっくりしました・・・
こんな感じでインタビューテキストは始まる。32年前のまさにこの時期、私は北へ向かった。そして28年前のこの時期、北をあとにして信州に。ぜひご笑覧いただきたい。
●北海道大学特設サイト「北大人群像~フロンティア精神の体現者たち~」
https://www.hokudai.ac.jp/interview/
●北大人群像第10回 ~教育学部卒 辻英之 インタビュー(テキスト)~
https://www.hokudai.ac.jp/interview/10_tsuji.html
●YouTube北大公式チャンネル「北大人群像」ショートバージョン
https://youtu.be/SHM96o4EEaI
●YouTube公式チャンネル「北大人群像」ロングバージョン
https://www.youtube-nocookie.com/embed/nOX4nGsoSkA