代表だいちコラム

Column of the Representative Director DAICHI 

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2021年3月15日
 被災したこどもと一生向き合う ~10年目の3月11日を福島で迎えて~


福島にいる。10年目のタイミングに、どれだけの意味があるのか。しかもこのコロナ禍のときに。外部の人が勝手にそう想っていることじゃないのか。結局は、福島の人に負担をかけることになるんじゃないか。そんな想いも強かった。それでも、今、福島に来ることができたというその意味を、しっかりと次の世代に伝えていかなければ。だから、私の教え子たち(立教大のゼミ生)を連れてきた。当時まだ小学生の学生たち。この後の世代は、当事者意識、当時代意識がさらに薄れていってしまう。そんな危機感もあった。コロナ禍を言い訳にしている場合でもない。依然として放射線量が高い地域もあり、学生を同行させることに逡巡もした。が、10年を迎える今がそのタイミングと、学生とやりとりを重ねて実現した。
2月の地震で被害を受けた東北新幹線。新白河駅を過ぎると、極端な徐行運転になり、福島までの所要時間はざっと1時間は遅くなっただろうか。影響を受けているとはいえ、全線開通は東北のひとびとの希望でもある。福島駅に降り立つ。10年前に降り立ったときは、深呼吸することに気を遣う自分がいた。今はマスクで息を潜めている自分がいる。あの頃と何が違うのか、どんな変化があるのか。いつの世も変わらずに確かに時は重ねられていく。その時の積み重ねに沁み込む暮らしの息遣いや想いは、たまに来る自分には感じ取れない。あの日以来、東北に足を運ぶこと50回を数える。それでも、この地に暮らしていない身が、もどかしい。

福島に着いて、真っ先に会ったのは、レイだ。東日本大震災のとき2年間、「暮らしの学校:だいだらぼっち」で受け入れた子だ。放射能から逃れて信州泰阜村にやってきたのは小6の時。今はもう21歳の大学生! 初めて会った日のことを鮮明に覚えている。あの年の5月。田植をしている時に、華奢な身体のレイが泰阜村にやって来た。その細さに、本当に1年間、やっていけるのか心配だった。その後、2年間、泰阜村民となる。泰阜村の支援を受け、村民の皆さんから愛されたレイ。今思えば、身体は華奢だったけれど、芯が強かったな、レイは。
高校生になった時、レイは「信州こども山賊キャンプ」のボランティアに参加した。熊本地震の被災児童を招待したキャンプに「恩返しの意味を込めて」と。それを遠い東北から毎年続けてくれた。私の立教大学の授業「自然と人間の共生」でもゲストに来てくれ(オンラインだが)で、骨太な話もしてくれた(笑) 1年前に、沖縄に二人旅もした。レジャーではなく、沖縄のアイデンティティをめぐる旅だ。ハンセン病の隔離施設にも立ち寄り、国策のしわ寄せの現実を直視した。そんな経験が、レイの芯をさらに強くしていく。おとなしいけど挑戦を続けるレイ。自ら芯を強くしていくレイが、私は大好きだ。
立教の教え子がレイと会った。すぐに仲良くなり、SNSアドレスを交換している。微笑ましい。レイが交友を広げていくことが、うれしい。学生が、被災地の同年代の話を聴いて、そして友人になっていくことも、うれしいな。
私の役割はすでに、被災地の今のこどもを支えるステージから、あの時支えた被災青年を次の学びへといざなうステージに深化している。レイの学びと、学生の学びが、時を超えて連なっていく。その学びの連鎖を支えていくのだ。支援が産み出した支え合いの縁を、丁寧に紡いでいく。それを私は「支縁」と表現している。私は一生、レイと向き合う。それが「教育を通した支援」であり、「支縁」なのだから。
福島でレイに再会したことが、中日新聞に紹介された。以下、本文を転記しておく。
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中日新聞 2021年3月12日
被災のこども成長に感慨  山村留学に招待 交流今も  泰阜のNPO代表 辻さん
 泰阜村のNPO法人グリーンウッド自然体験教育センターは東日本大震災後の五年間、被災した小中学生を山村留学やキャンプに招待した。当時の子どもたちなどとの交流は今も続く。代表の辻英之さん(50)が十日から十二日までの日程で、福島県を訪ね、成長した姿を確かめている。
 「自然の恐ろしさに傷ついた子どもたちに、もう一度自然の素晴らしさを感じてほしい」。同法人は2011~15年、福島県から計250人の子どもたちを「信州こども山賊キャンプ」に招待。福島などから3人の小中学生を2~5年間の山村留学にも受け入れた。
 故郷に帰った参加者の中には、進学や就職してから、ボランティアとして戻ってくる人もいる。16年の熊本地震で被災した子供たちを招待した際も5人が手伝いに駆けつけてた。
 10日に辻さんが訪ねた福島市の大学3年生曽根レイさん(21)もその一人。原発事故の後、自由に外で遊ぶこともできなかった中、両親の勧めで山村留学に参加。小学6年から中学1年までの2年間を泰阜で過ごした。
 地元の同級生たちが体育の授業も満足に受けられない状況の中、自然に囲まれ、泥まみれになって思い切り遊べる日々。曽根さんは、電話での取材に「自分たちで考える共同生活の中で、多くの学びや成長があった。受け入れてくれた村には感謝しかない」と話す。
 今では泰阜村は第二の故郷。「村やグリーンウッドへの恩返し」と、福島市内の高校に進学してからは、毎年夏休みに訪れ、ボランティアとして山賊キャンプを支える。
 20年は新型コロナウィルス感染拡大の影響で、山賊キャンプは中止に。ボランティアにも来られなかった。「去年は何もできず歯がゆかったが、今後も学んだことを今の子どもたちにつなげていきたい」と熱を込める。
 辻さんは今回、約1年ぶりに曽根さんと再会。講師を務める立教大のゼミ生らも同行した。曽根さんは、ゼミ生らから受ける震災の体験などの質問に自分の言葉でしっかりと答えていた。「きゃしゃだったレイが頼もしく成長した」。古里の自然の驚異に向き合い、信州の山村で力強く育った若者の姿に、辻さんは感慨を深めた。
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代表 辻だいち

2021年3月1日
 真正面から ~今こそ、私たちの35年の学びをオープンにする時~


みなさんに、折り入っての、心の底からの、そしてもう、恥も外聞もなく、真正面からのお願いがあります。
少々長くなりますが、最後まで読んでいただければうれしく想います。
そしてもし、差し支えなければシェア・拡散いただければ幸いです。
お願いとは「2021年度の講演・講義・研修会・シンポジウムなどに講師としてお呼びいただけないか、あるいは呼んでいただける人や団体・地域をご紹介いただけないか。私だけではなくNPOグリーンウッドスタッフもぜひ!」ということです。
※↓ 私の渾身の想いを記事にしています。こちらもぜひお読みください。
https://www.greenwood.or.jp/tane/7230/
※↓ 私たちの呼びかけが、朝日新聞(2月23日)にも掲載されました。
https://www.asahi.com/articles/ASP2Q7F9HP2MUOOB01B.html
すでにご存じの通り、このコロナ禍でNPOグリーンウッドの経営は壊滅状況です。
首都圏・中京圏・関西圏を市場とし、小さな地域(泰阜村:人口1600人)に根差す団体としては、都市部の青少年を地域に集めることへの地域住民の理解(ある意味恐怖と差別との闘い)、脆弱な地域医療への過度な負担回避という点から、感染症対策において極めて動きにくくなることは宿命でもあります。
若いスタッフの雇用を守り(=地域の持続性を守る)、コロナ収束後に必ずや良質な教育活動を提供できる戦力を確保しておくために、人件費の極限までの削減、公的支援金の活用、徹底的な支出抑制、緊急寄付のお願い、そして多額の借入金など、様々な経営対策を打ってきました。
しかし2020年度はおろか、この状況だと2021年度も立ち直れるのだろうかと、唇を噛み締める毎日です。
一方で、下を向いてばかりではありません。
泰阜村という地域、風土、暮らしの営み、そして村のこどもたちと真正面から向き合った1年という時間は、この村の価値や教育活動の提言などを様々なカタチ(例えばオンラインでの講演や大学授業など)で広めていくための極めて尊い営みだったと考えます。
※詳しくは以下サイト(私のブログです)をご笑覧ください。
https://www.greenwood.or.jp/tane/category/daichiblog/
そこで、なんとしてでも、2021年度もまた「高く飛ばなくてもいい、早く飛ばなくてもいい、落ちそうで落ちない“低空飛行”」を続けていくために、冒頭のお願いをさせていただく所存です。
2020年度は多方面から多くのご寄付、すなわち「こどもの未来への先行投資」をいただきました。
もちろん2021年度も引き続き未来への熱意を募る予定でいます(4月以降に、改めてまたお願いさせていただきます)。
一方で、世のため人のための仕事の対価として収入を得て(もちろんすべて法人の収入にします)、私たちが培ってきた実績や価値、経営・運営ノウハウなどを全国のひとたちに広げていくことも、同時に強く意識していく時が来ていると感じます。
2021年、NPOグリーンウッドの根幹事業である「暮らしの学校:だいだらぼっち」は35周年、またNPO法人化20周年を迎えます。
おこがましいようではありますが、時の試練に耐えたこの実践の価値を“魂の言葉”に載せて、講演活動や執筆活動などを通して世に問い、社会に丁寧に還元・提言していきたいと強く想います。
どうかこれらの想いをご理解いただき、2021年度の事業計画・事業予算において、私やグリーンウッドのスタッフが未来づくりに貢献できる機会をご検討いただけますようお願い申し上げます。
私は「ソーシャルビジネスやNPO経営・運営、本質的な学力観やリスクマネジメント、ひとづくり×地域創生」等、講演でも原稿執筆でもなんでもやります。
スタッフは「こどもの学びの場づくり・自然保育の場づくり・体験活動におけるリスクマネジメント・こどもと関わるスタッフ・ボランティアの育成・組織マネジメント・オンライン授業の作り方・安全講習・これらに関わる原稿執筆」等、ノウハウ提供・移転も含めて、多岐にわたるリクエストにお応えできると自負しています。
費用、内容、日程、オンライン・対面など細かい点はぜひご相談いただければと想います。
日本中のひとびとが、そしてあらゆる職業のひとびとが苦しんでいる時に、こちらのことばかりで本当に心苦しい限りですが、どうかご理解ください。
最後になりますが、一日も早い感染症の収束と、今般の東北地震で被災された方々の復興、そしてみなさんのご健勝とご多幸を信州の山奥より、心からお祈り申し上げます。

代表 辻だいち

2021年2月15日
 命の尊厳に向き合う“ひと”を育てる ~東北に再び発生した大地震に~


もう一歩で死亡事故だった。
目の前で小6の男の子が、のどに氷を詰まらせる状況が起こる。チョーキング(のどつまり)だ。のどを抑え、青い顔をして、近寄ってたが、どうやら呼吸ができていない!
もし意識を失い心肺停止状況に進んでしまったとしたら?
この小さな山村(泰阜村)は、救急車を呼んでも15分以上かかる!
男の子の命をよみがえらせるのは無理!?
そんなことを頭で考えながら、男の子の背後にまわり、チョーキングの対処をすかさず遂行した。無事のどから氷が、文字通り「ぽーん」と出てきて、事なきを得る。しかし、目の前に家族や知り合いがいて、声も聞こえるし、顔も見えているのに、自分の声は出せず、呼吸もできず、死んでしまうのかもしれない恐怖を感じたのだろう。男の子は、しばらく恐怖におののいて泣き続けた。数年前のことである。

私は救急救命法の国際トレーナーの資格を、15年前に取得した。ご存じのように、私は国道も信号もない山村に住んでいる。こんな山奥に住んでいると、緊急事態の時に救急車が到達するのに多くの時間がかかる。村の小中学校まで一番近い消防署(しかも隣町)から15~20分。さきほどの実例ではないが、心肺停止状態のこどもがいた場合、何も施さなければ確実にその命は失われる。私は長い間、へき地に住む人々こそ救命法を学び、そしてへき地にこそAEDを導入して、村に住む人が「あんじゃねぇ」(大丈夫、安心しろの意味の方言)と安心して暮らせるための土台創りに奔走してきた。

救命法のスキルだけを教えようとしているのではない。今日もまた全国でいじめや虐待で命の危機にさらされているこどもたち。世界中で紛争や飢餓に直面しているこどもたち。生きたいと強く願いながらも、コロナや病気で死んでいくこどもたち。市井に生きるひとびとの命の尊厳、ないがしろにされ続けるこの国の若者の尊厳。それらに無関心になってしまっているのではないかと疑いたくなるこの世の中。私は、救命法を通して、「一人一人が大事にされる」ことを伝えたい。つまり民主主義の土台を伝えたい。そして何よりも、一番大事な「命の尊厳」を伝えたいのだ。だから、一般受講生に講習することが可能な「インストラクター」を養成できるトレーナー資格に挑戦したのである。トレーナーとは、簡単に言えば「先生(インストラクター)の先生」である。
今回は、地元飯田女子短期大学の現職教員が、インストラクター養成講座を受講した。大学でリスクマネジメントや野外活動を学んでいたり、大学教員の前は小中教員だったりもして、指導経験も豊富。受講生の豊かな経歴と何よりもやる気に満ちた受講態度にも支えられ、長い時間をかけてゆっくりと養成した。
どれだけ確かなスキルや深い知識があっても、それを使おうとする「気持ち」がなければ意味がない。私が所属する「MFA(メディック・ファースト・エイド)」という機関は、受講生が講座を終えて帰る時に「救命法って難しい、やっぱり私には無理」ではなく、「救命法って難しい、でも私にもできるかも」と、ちょっぴりの自信を感じてくれるような救命法プログラムを開発した機関だ。つまり、学習しやすい講習であり、「やる気」を育てる講習なのだ。だから世界中で支持されいてる。
東北で再び大きな地震が発生した。改めて、ご近所の絆を確かめる機会でもある。阪神大震災でも、被災した市民同士が迅速に応急処置を施すことができていたら、多くの命が助かったという。山間地でも都市部でも、平時でも災害時でも、命の尊厳に変わりはない。今回、私が認定したインストラクターは、こんな世の中で「私にもできるかも」と命の尊厳に向き合う市民を育ててほしい。小さな山村から力いっぱい応援したい。
 

代表 辻だいち

2021年2月1日
自然が教えてくれるもの ~闘う相手はコロナだけではない~


自然が教えてくれるものはかけがえがない。
厳寒のこの時期、泰阜村では信じがたいほどの星空になる。まるで宇宙のど真ん中にいるみたいだ。キーンと冷え切った早朝に、大渓谷を埋め尽くす雲海・川霧。深呼吸すれば、五臓六腑に清冽な空気がしみわたる。
大河:天竜川にそそぐ支流は、これまたとんでもなく澄んだ水が流れている。この清水は、そのままわが村の水道水になる。はっきり言って、店で売っているどんな水よりオイシイと想う。
山菜、野菜、燃料の薪、そして獣肉などなど。山の恵みがこれでもかというほど、私たちの身体に流れていく。
最近は、猛烈な台風や豪雨も多い。それでも信州は、アルプスなどが屏風となって立ちはだかり、台風の侵入を防ぐ。自然の猛威から守ってくれるのもまた“自然”なのだ。災害の恐怖と隣り合わせの豪雨も、やはり豊かな山の恵みにつながっていく。自然のチカラが、私たちの営みや歴史を創っていく。
コロナウィルスもまた自然。この自然の猛威に対峙できるものは、やはり自然のチカラなのではないか。自然と向き合う暮らしを丁寧に営むことが、コロナに対峙するためには必要なことだとつくづく思う。それはけっして、田舎暮らしをする、ということだけではなく。
再び緊急事態宣言が出た。この1年、私たちはいったい何と対峙したのだろう。コロナウィルスと対峙した。それは間違いない。でも、それと同じくらい、周囲の目や、自己中心的な態度や、無責任な政府の言動や、心無い(が、実は自分も抱いてしまいそうな)誹謗中傷などと、常に向き合ってきたのではないか。それは、身体も心も壊れてしまいそうなほどに。そして、人間関係や信頼、そして倫理観も壊れてしまいそうなほどに。
敵か味方を峻別し、敵を過剰に攻撃する風潮。前の首相をはじめ、国会議員にも、そして社会にも蔓延した。アメリカに目を転じれば、信じがたい言動を繰り返す前大統領。私と違うこと、あなたと違うことが、こんなにも暮らしにくいと感じる世の中になってしまうとは。
反対意見を聞き入れず、折り合いをつけようとしない風潮。誤りを認めず、隠す・誤魔化す・ねじまげて、それで何が悪い?と開き直る風潮。今の首相をはじめ、閣僚にも官僚にも、そして悲しいかな国民にも蔓延しつつある。丁寧に対話することや正直であり続けることが、こんなにも生きづらいと感じる世の中になってしまうとは。
コロナ禍であらわになったのは「分断」だ。こんなにも“希望のない世の中”を生きなければならないこどもと若者たち。いったいどう育ってしまうのだろうか。闘う相手はコロナだけではない。
ちょっとみんな、外に出よう。大空に向かって深呼吸しよう。夜空を見上げて、思いきり感動しよう。炎にあたって、暖かさを感じよう。うまい水を、うまそうに飲もう。当たり前にそこにある自然に、もう一度丁寧に向き合ってみよう。
自然のチカラが、自分を覆いつくそうとする闇を追い払ってくれると信じたい。自然に対する謙虚な態度が、今こそ、求められているのかもしれない。ハラをくくって、自然と向き合おうではないか。

代表 辻だいち

2021年1月5日
こどもが大学生に講義する!? ~こどものチカラを信じたい~


― こどもが大学の授業に登壇する ―
その日、学生もこどもたちも、なんだかソワソワしていた。立教大学の「自然と人間の共生」という授業。もうかれこれ10年間受け持っている。これまで泰阜村の村長やおじいま(“おじいさま”の意味の方言)がゲストに登壇してきたが、こどもが登壇するのは始めてだ。
オンライン授業となり、私が信州泰阜村から配信していることもある。そして授業当日が、祝日と重なったこともある。そして、ちょうどこどもたちが外出しない日であったことも。
自然と向き合う暮らし。それを多方面に紹介することを通して、自然と人間の関係性を考える。それがこの授業の目標だ。度重なる自然災害に加え、今年はコロナという自然とどう向き合うかなど、当事者として考える場面が増えた。その中で、改めて、自然と向き合う暮らしから、何を学んでいるのか、何を得ているのか、そしてそれが行動変容にどうつながっているのか、現在進行形で生きている「暮らしの学校・だいだらぼち」のこどもたちの声を、学生に届けたいと想った。
私が施設を紹介し、こどもたちにインタビューする。それはそれでカタチになるし、学生にも整理された学びが提供されるだろう。しかし、それではせっかくのチャンスがもったいない。こうなったら、こどもに講義自体を任せてみよう。そう考えた。
― こどものチカラを信じる ―
泰阜村の教育活動において、一貫して持ち続けている信念、伝え続けている想いだ。それを、大学講義でもいかそうというだけの話だ。とはいえ、大丈夫かなあ、という想いがなかったわけではない。ただの活動紹介に終わらないか、学生の知的好奇心に耐えうるものか、などなど不安は尽きなかった。それでも背中を押したのは、「子どものチカラ、混沌とした暮らしのチカラ」が産み出す学びが、本質的なものと信じるからだ。やってみよう。こどもに任せよう。こどもを信じよう。あとは、私が責任をとるだけだ。
講義当日、こどもたちの準備はいかほどか、と様子をうかがった。ところが、どうしたことか講義開始30分前に“段取り”とっている。オイオイ、そんな直前で本当に大丈夫なの?と、心配のメータが急降下する。そこからがすごい。“総まとめ”という司会2人が決まった。2人とも小学4年生! その後、60分の持ち時間をどうするかを、決めていく。前半30分は、施設を回るらしい。ポイントポイントで、こどもによる施設&活動を紹介しながら、何を学んでいるかを即興で伝える。後半30分は、学生とガチのQ&Aということ。時間的に、あれこれアドバイスしている場合でもない。任せた以上、ハラをくくる。“やらせなし”の60分一本勝負が始まるのだ。
オンライン授業が始まる。200人の履修だが、リアルタイムではおおよそ140人くらいか。残りの60人は録画で対応。いつも通り、チェックインから始まる。チェックインとは、学びの時間に切り替える、というような意味合いで使っている。オンラインであっても、一緒に受講している学生140人の息遣いや様子、学びが共有できるように工夫してある。どんな内容かは、またいずれ紹介したい。
さて、こどもたちに任せる60分が始まる。総合司会?のこども2人が仕切っていく。こどもたちによる食事、ものづくりの紹介、ギターやピアノ、ニワトリのいる暮らし、薪のゴエモン風呂、登り窯などなど・・・自然と向きあう自律的な暮らしをこどもが学生に伝えている。即興でここまでできるとはほんとにすごい。動画から抜き出した画像になるが(粗いのでご容赦を)少しだけ紹介する。(→ブログではこどもたちの画像がたくさんアップされています https://www.greenwood.or.jp/tane/7134/ )
後半は、150人の学生たちとこどもたちの、オンラインツールを通したQ&A。学生たちから集まる数十の質問に、優先順位をつけててきぱきと答えるこどもたち。一切“やらせなし”の純粋な、こどもらしい本音の想いが口から飛び出る(笑) Q&Aもさることながら、その後がおもしろかった。「私たちからも大学生に聴きたい」ということで、学生たちに逆質問。
「勉強が苦手でも大学でやっていけますか?」「大学で一番楽しかったことは?」「こどもの間にやっておいたほうがよいことは?」「将来の夢は?」そのひとつひとつに、140人の学生からの答えが瞬時に集まり、見える化した。泰阜村のこどもたちと東京の学生が、まるで対等におしゃべりをしているような時空間。こどもたちにもよかった。学生にとっても驚きだったに違いない。そして、お互いに素敵な学びを手にしたのだと想う。
学生のリアクションペーパー(授業を受けての学び、感想など)には、素敵な学び・感想がびっしりと並んだ。ここではそれらを紹介することは紙面の都合上、二つだけ紹介する。
「今まで受けた大学の授業の中で今回が一番楽しかったです。せっかくのお休みの日に、今日は本当に素敵な時間をありがとうございました!」
「現在はコロナ禍により、私が描いていた大学生活は送ることができておらず、入学してからまだ一度も大学に行ったことすらない。しかし、そのことを理由にして悶々と過ごしているのはもったいないと感じた。「今」は人生で一回しかないため、この状況下でもできることを楽しみ、色々なことに挑戦しようと思う」
言えることは、いつも言葉少なな学生たちが「こんなに書いてくれるんだ!(笑)」である。
それほど衝撃的な時間だったのだろう。
確信した。自然と向き合う暮らしが持つ教育力は、大学などの高等教育に十分通用する、と。泰阜村の教育力をこれでもかというほど纏ったこどもたちが、堂々と大学生に講義した。こどもたちをここまで輝かせてくれる泰阜村の風土が持つソコヂカラに、感謝したい。
― こどもが大学生に講義する!? ―
そんな大学があってもいい。人口1600人の小さな山村の村民が教授になる! そんな大学があってもいい。今年はどんな発信をしようか。どんな学びを紡ぎ出そうか。この苦しい時期を乗り越えるために、やはり「学び」を追い求めていきたい。こどものチカラを信じて、自然のチカラを信じて、地域のチカラを信じていきたい。

代表 辻だいち

2020年10月1日
東大の教授と泰阜村の教授、どっちがスゴイか勝負しようじゃないか


20年前、木下さんは私に夢をつぶやいてくれたのだと、今そう想う。
「辻君、わしゃ、生まれ変わったら教師になりたい」と。
そして今、おこがましいが私がつぶやく。
「木下さん、聴いてくださいよ。私の夢はですね・・・」
と、授業が終わりZOOMを閉じて、私は木下さんに語りかけた。
私にはどうしても実現したい夢がいくつかある。そのひとつは、このブログでも再三宣言してきた「多地域間交換留学」だ。その想いは、このブログで一番読まれている記事になっているので、以下参照いただきたい。https://www.greenwood.or.jp/tane/1106/
さて、これと同じくらいに本気の夢がもうひとつある。それは、この村に4年生大学を創ることである。10年以上前から構想しているが、ほとんど誰からも相手にされない。あたりまえだ。全国の地方都市が実現したい大学誘致を、人口1600人の小さな山村が実現できるわけがない。誰もが最初(はな)からそう想って、私の夢など「たわ言」と感じていたのだろう。ところが本気で10年以上語り続けると、一緒に実現しようという仲間が増えてくるから不思議だ。やっぱり夢は中途半端じゃなくて、本気で語らなければ、本気の仲間が集まらない。しかも今年度のコロナでオンライン授業。全国どこからでも授業を配信できることがわかったではないか。実現に一歩も二歩も近づいていることを、これまで私に夢を聞かされてきた人は感じていることだろう。
4年生の大学を創る、という全体的なビジョンはまた別途記したい。もう少しミクロ的に言うと、泰阜村のおじいま・おばあま(おじい様・おばあ様という意味の方言)を大学教授にしたいということに尽きる。こんなことを言うと、さらに「無理に決まっているだろう」という言葉があちこちから飛んできそうだ。そして当のおじいま・おばあまたちは「そんなこと、わしゃ無理だに。高校も行ってないわしなんか、そんなそんな。辻さん、ばかなこといっちゃいかん」と私を睨みつけてくる。それが現代社会の普通のステレオタイプだ。
数年前、地方大学の理事長と話す機会があった。私がこんな夢を持っていることをどこからか聞きつけたのだろう、こんなことを話してくれた。
「辻君、東大の教授と泰阜村の高齢者、どっちがスゴイんだろうね?」
私は、泰阜村のおじいま・おばあまに決まってるじゃないか!と心の中で叫んだ。理事長は続ける。
「普通に考えれば東大の教授だよな。でも、それ、本当かね?」
ん? 何だ? 話がおかしいぞ、どうしたこの人??? 
「おそらくだけど、泰阜村の高齢者の皆さんは、東大の教授に匹敵するモノを持ってるんじゃないかな。東大の教授と泰阜村の高齢者、どっちがスゴイのか。そんな発想から大学を創るっていうのはどうだ?」
目からウロコだった。
厳しい環境の中で生き抜いてきた村の人々の暮らしからこそ、次世代に伝える大事なこと、いわば普遍的価値を導き出せる。そう信じて34年、この実践を続けてきた。単なる民間団体の実践の域を超え、本質的な教育改革につながるよう政策提案も続けてきた。国の政策とはマッチしないだろうが、都道府県や市町村といった地方自治体、とりわけ小規模自治体の政策には一定の影響を与えてきたと自負している。こどもの自主性を重んじた教育活動を地域が一丸となって展開されていること、地方高校の国内留学制度の拡充などは、その一例だと考える。
―小さな地域の暮らしに立脚した学びー
地域の教育力は、これまでの教育のステレオタイプを凌駕する。その教育力を全身に纏ったおじいま・おばあまは、蓄積された知識・知恵はもちろん、実践・経験の価値は、すでに東大の教授並みだ。いや、もしかするとそれ以上かもしれない。彼らが堂々と教授になる大学を、この人口1600人の泰阜村に創る。そんなことを考えるだけでワクワクする自分は、ちょっとおかしいのかもしれない(笑)
立教大学「自然と人間の共生」の授業を受け持って10年。最初の年の2011年から、泰阜村のおじいまを東京まで連れていってゲスト登壇をしてもらった。簡単に「いいよ」と言ってくれたわけではない。往復10時間の移動もそうだし、何より人前で話すことをあまり好まないひとびとだ。加えて、その高齢者にゲストとしての価値があるか、つまり高等教育に必要なのか、を大学側が判断する。「そんなの無理」と相手にされない時から、村に大学を創るその真意や想いを常に説き続けてきた私の想いが、おじいまにも大学にも伝わったからこそ、実現してきた。改めて立教大学には感謝したい。
「じゃ、わしの集落からやってみるか」
今年前期、村の木下藤恒さんが、オンライン授業に登壇してくれた。木下さんは、村最奥の集落に住んでいる。その集落は栃城(とちしろ)という。この地域では「とんじろ」と呼んでいる。鳥も通わぬと言われた集落だ。長野県の最高レベルのへき地は2つと言われたが、その一つである。ちなみにもう一つは、県の北端の栄村にある秋山郷である。拙著「奇跡のむらの物語 ~1000人の子どもたちが限界集落を救う!~」には詳しく書いたが、この集落の存亡をかけて養殖漁業を立ち上げ、奇跡的に持続可能な集落にしたスーパーマンだ。
豊かな自然を財産と想うことができずに、「こんな村にいては将来がない」と、こどもたちを競って都市部に送り出した。残ったのは、高齢者と手が入らなくなった山。そんな絶望的な地域に、どうして残る決断をし、生き抜いてきたのだろう。
実は木下さんは、今回が初めてのゲストではない。ここ2年ほど、1コマ100分の授業のために、毎年東京まで出てきてくれている。“とんじろ”から東京まで片道6時間。頭が下がる想いだ。私は木下さんを尊敬し、師匠だと想っている。
「「わしゃ、生まれ変わったら教師になりたい」
20年前の木下さんの言葉は、私の魂を激しく揺さぶった。都市部から2週間のキャンプに来たこどもたちが、この村の、この地域の“良さ”を楽しそうに口にする。それを聞いて木下さんがつぶやいたのだ。
「辻君、わしは、この村の良いところを、村のこどもたちになんにも教えてこなんだ。だから、わしゃ、生まれ変わったら教師になって、この村の良いところをたくさん教えてやりたい」
それ以来、ずっと私の師匠である。いつもいつも、こどもたちの活動の傍にいてくれた。
そんな木下さんが「しょうねえな(仕方ないな)」とサバサバという。
「東京に行けねえんならしょうねえな。ここ(とんじろ)で授業やろう。辻君、できるら?(できるだろう?)」
正直、恐れ入った。最奥の集落でオンライン授業なんて、最初(はな)から無理だと想っていた。そう想った自分のステレオタイプが、軽やかに崩れていく。そうだ、ここでやればいいんだ、ここからリアルタイムで配信すればいいんだ。それは自分がやりたかった夢ではないか。木下さんが大学教授になるのだ。
“とんじろ”でパソコンに向かって、訥々と話す木下さん。私はできる限り、集落の様子をカメラで追った。集落の若者がライブで大学講義をやってるということ聞きつけて、今捕まえたという大きなヘビを見せにきた。
「ばかこぞう(こぞうとは少年という意味の方言)、そんなもん持ってくるな。学生さんが驚くじゃねえか」
と苦笑する木下さん。
授業の休憩時間に、そんな裏のやりとりもリアルタイムで流した。一瞬で寄せられる学生200人の質問に、孫に語り掛けるように、落ち着いた口調で答える木下さん。
正直、どうなるかとも思っていた。しかし、驚くべき学生の反応だった。話がうまいわけでもない。むしろたどたどしいくらいだ。しかし、そんな話術よりも、どんな逆境でも生き抜いてきた生き様が、学生の心を揺さぶったのだろう。
授業後にあっという間に集計されるリアクションペーパーには、ほぼ全員が、今までになかった素敵な学びだった!という感想が並んだ。リアクションペーパーを読んだ木下さんは、ニヤリと笑ってこうつぶやいた。
「東京とは違ってホームだから気楽だ。秋もあるんづら?(あるよな) 次は何を話そうかな。あれを生で見せるか…」
私の師匠が、学び続けている。それが、心底うれしい。そして木下さん、あなたはもう、本当の教師になりましたよ。
木下さん81歳。彼を必ず大学教授にする。村のおじいま・おばあまが教授陣の大学を創る。
東大の教授と泰阜村の教授、どっちがスゴイか勝負する。ま、どっちもスゴイんだけれどね。
こんな夢を皆さん、どうか応援してください。
オンライン授業は私にとって、泰阜村にとって、夢の実現の始まり始まりなのだ。


2020年9月15日
こどもたちの未来への投資 ~未来への熱意を集めたい~


9月も半ばを迎えます。毎年この時期は、小さな泰阜村を隅々までめぐり、夏の信州こども山賊キャンプが無事終了した感謝の意を村民の皆さんに伝えます。「まあ、おあがりて(家に上がってお茶でも飲んでいきなさい)」と声をかけられ長居することもしばしば。直接御礼に伺えない全国、世界中の人々には、お礼状や報告書の文章に感謝の想いをしたためる日々です。キャンプが終わったというのに忙しくて倒れそうな毎日だが、会う人の笑顔や手紙の向こう側にいる人の笑顔(想像するに)に、身体を突き抜ける充実感を覚える時期でもあります。
 
それが、今年はありません。
今年はことのほか暑い夏でした。夏の山賊キャンプを実施していたら、熱中症はどうだったのでしょうか。昨年度までも現場スタッフたちは徹底的な熱中症対策を実施していました。何度も何度もインフルエンザやノロウィルスの直撃を受け、そのたびに徹底的な対策をバージョンアップしてきました。O-157などの食中毒も含めて、子どもたちが集団生活を送る上でのリスクに対し、これでもかというほど対策を練ってきた自負があります。当然のことながら、安全管理やリスクマネジメント研修、自己研鑽など、死に物狂いで取り組んできました。これらはすべて、こどもの命を守り、学びを支えるためです。
今年は感染症の前に屈しました。
夏は終わりました。30数年蓄積してきた安全管理のノウハウを、試すことも実施することもなく。キャンプ場には草が生い茂り、自然界の音だけがただただ奏でられています。こどもたちが集わない夏が、こんなにも寂しいとは。こんなにも身も引きちぎれんばかりになるとは。30数年、毎年こどもたちとキャンプをし続けてきましたが、全面中止は初めてのことです。コロナウィルスも自然です。今こそ自然と人間のつながりや関係、自然を舞台にした学びをこどもたちに提供すべき時期でありながら、それができない状況はまさに断腸の想いです。
そう想っているのは、主催者の私たちだけではありません。子どもたちが食べる野菜を大量に栽培してくれていた農家のおじいま・おばあま(おじい様・おばあ様の意味の方言)が、毎年のルーティンの農作業を失って寂しそうな顔をしています。野菜を栽培できないだけではなく、子どもたちのために作る、というやりがいを失った寂しさなのだろうと、その胸中を推し量ります。「夏の風物詩」と村の古老たちが表現した“3~4日に一度、大型バスが連なって村にやってくる”“毎日毎日こどもたちの歓声が山と谷にこだまする”が、今年は全くありません。村中の夏の行事が次々と中止になることが輪をかけて、泰阜村という地域もまた活力をを失ったかのようです。小さな村の人々が、村の外からやってくるこどもたちに、いかに元気づけられているかに改めて気づきます。
今夏の信州こども山賊キャンプ。全面中止を決定したのは5月初旬です。理由は主に以下の2つです。

(1)集団移動・集団生活における感染症のリスクから子どもたちたちの安全を守ることができない
(2)泰阜村の人口に匹敵する青少年(約1500人)が都市部から集うインパクトに、高齢者を始めとする村民の皆さんのご理解を得られない。
 
とりわけ(2)は、地域に根差す団体の宿命でもあります。
そして当然のことながら、法人年間収入の約5割弱を生み出す山賊キャンプを失った今、今年度の法人経営は破壊的な状況となっています。団体設立以来最大の危機ともいえるこの難局に立ち向かうために、

1.全役職員の人件費大幅削減と交替制の休業措置、
2.雇用調整助成金等の公的支援金の活用、
3.新事業開発と実行(委託・助成含む)、
4.金融機関からの長期借入金

などの緊急対策を策定し、低い水準ながら全スタッフの雇用を維持して低空飛行の経営を続けているところです。
しかしながら、正直なところこれらの対策には限界があります。というか、全く歯が立たない状況です。山賊キャプと同様の事業形態(人を集めての教育活動)の見通しが不明な中、今年度の損失を補填して経営を再び軌道に乗せるためには、当然のことながら少なくとも5年の時間を要することが想定されます。泰阜村に定住した若い職員たちを路頭に迷わせるわけにはいきません。経営者ならだれもがそう想うことでしょう。彼らの雇用を守ることはそのまま、この村の持続性を守ることに直結します。法人経営と地域の持続性は、表裏一体でもあるのです。これもまた、地域に根差す団体の宿命です。
この状況は、グリーンウッドだけではなく、日本全国の同業形態の仲間たち(いわゆる自然学校)もおしなべて同じです。仲間も今、存続の危機の窮状に息も絶え絶えです。
そんな自然学校の仲間たち72団体と、私が理事も務める中央団体(公益社団法人日本環境教育フォーラム)がクラウドファンディングを立ち上げ、全国からの寄付を募っています。
https://a-port.asahi.com/projects/nature-school-aid/
 
もちろん、グリーンウッド単独でも寄付制度を設けています。
https://www.greenwood.or.jp/kifu.htm
この状況を、マスコミに何度か取材をいただきました。朝日新聞(8/18)と読売新聞(8/27)が、異例の大きさで取り上げ、ご覧になった人も多いのではないでしょうか。また長野県誌である信濃毎日新聞(9/7)は、なんとオドロキの1面トップ記事です。コロナや台風、与党総裁選や野党代表選などが目白押しの中で、新聞を手にしたときは目が点になりました。“こどもに必要とされる学びが失われる危機”を、マスコミの皆さんもまた感じているということなのでしょう。いずれの紙面でも、全国の数ある自然学校の中からグリーンウッドの状況が扱われています(私のコメントもたくさん掲載されています)。グリーンウッドが持つこどもやユーザーへの影響力、あるいはNPO経営、地域再生への期待が大きかったことが改めてわかります。それぞれの紙面のリンクを張り付けておくのでご笑覧ください。
 
朝日新聞(8/18)
読売新聞(8/27)
信濃毎日新聞(9/7)
 
以来、激励のメッセージと想いが届く毎日です。これまでつながりのある人びと、講演で呼んでくれた地域の人びと、キャンプの参加者や保護者の皆さん、山村留学の卒業生たち、夢を一緒に追おうとしている世界中の友人たち、新聞記事を読んだ見知らぬ人びと、なんと保育園や小学校の同級生まで。支援のカタチは様々です。口座への振り込みもあれば、情報のシェア・拡散だったり、食料提供だったりもします。新聞社の異例の記事扱いは、事実上、得意技での支援のカタチでもあるのでしょう。講演や原稿執筆、フォーラム講師や事業の委託など、仕事としての支援もあります。多くの人から“質の高い支え合いの気持ち”をいただいていることを強烈に実感します。
自然を教育財として取り組む私たち自然学校は、コロナ収束後こそ出番でしょう。自然と人間のつながりや関係、自然を舞台にした学びは、次の時代に必ず必要とされる学びです。私はそう確信しています。出番が来た時に、私たちが倒れていては、子どもたちの学びを支えることができません。
自然(ウィルス)の猛威におののく子どもたちに、もう一度、自然の素晴らしさを伝えたい。
分断と差別にさらされた子どもたちに、もう一度、ひとびとを尊重し支え合う素晴らしさを伝えたい。
どんな過酷な状況に陥っても、周囲と協調しつつ責任ある自律的な行動を自らとる子どもを育てたい。
これらを子どもたち伝えるためにも、この逆境を逆手にとって必ずや再起し、山賊キャンプを再開します。そして、次の時代における質の高い学びの仕組みを構築します。必ずやこどもに希望と未来を語ります。そのためにもなんとしてでも生き延びます。
高く翔ばなくてもいい、速く翔ばなくてもいい。落ちそうで落ちなければそれでいい。低く遅くても、それでも「前向き」に低空飛行を続けます。希望を失わず、未来を見続けて飛び続け、必ず再起します。
お願いさせていただいていること、呼びかけさせていただていること。それは決して【現在の窮状に対するSOS】だけでありません。【子どもたちの未来への先行投資】です。どうか皆さん、改めまして、“未来への熱意”と“息の長いご支援”を心からお願い申し上げます。
改めてグリーンウッドの単独支援口座を記します。
https://www.greenwood.or.jp/kifu.htm
全国の自然学校と協働したクラウドファンディング口座を記します。
https://a-port.asahi.com/projects/nature-school-aid/

代表 辻だいち

2020年9月1日
関わり続けることをあきらめない ~”学びづらさ”を抱える短大生にエールを送る~


 LINEにコメントが届いた。「私の単位のためにたくさんの連絡をありがとうございました。とても助かりました」 あの学生がこんな感謝のコメントを書くのか!と、驚いた。その日、短大の最終試験。オンライン授業だったため、じゅうぶんな通信環境がなかった学生のために、何度か代替試験を設定する。その最後の最後の試験だ。直前までほぼ履修をあきらめかけていた学生が、なんとか試験を受けた。その学生からのLINEだ。ぶっきらぼうに退廃的なコメントを言い放っていた3ヵ月前とは、まるで別人のようだ。
 以前の記事でも書いた。名古屋の短大の授業を受け持ってもう9年目になる。多くの女子学生を見続けてきた。短大学生の学びの背景は、私たちが考えてる以上に複雑だ。しかもオンライン授業が続き、ただでさえ“学びづらさ”を抱えた学生がさらに学びをあきらめていく。対面授業ならSOSを出そうとしてる学生の顔色や態度などから、関りもなんとか確保できる。しかし、オンライン授業の場合は、SOSをキャッチできないまま忽然といなくなる。突然でなくとも、途中で「もういいや」と脱落していく学生も一定の割合で存在する。
 オンライン授業ということもあり、何らかの事情で授業に参加できなかった学生の救済措置を大学側も考えてくれた。授業の録画を視聴し、課題を提出すれば、それも出席となる。この措置が、学びの場を彷徨(さまよ)い続ける学生たちにとって、良かった。そして、私にとっても。
「始めはオンライン授業で戸惑うこともありましたが先生がネット環境が難しい子に対して録画での出席可能をしたりと沢山の配慮をしてくださりスムーズかつとても受講がしやすかったです。ありがとうございました」
 履修をあきらめるな。学びをあきらめるな。オンライン上で声をかけ続けた。LINEをし続けた。きっと、学生にとってはうるさかったことだろう。ウザイおっさんと想われたかもしれない(笑) それでも私はあきらめなかった。関わること、関わり続けることが大事だ。“学びに無関心”になりそうな学生の心に、最大の関心を持つこ、持ち続けること。関心とは“心に関わる”“心から関わる”だ。
 「授業の進め方や内容は先生がオンラインということもあり、あとから録画を見れるようにしてくれたり、リアクションペーパーの期限を長めにとってくれたりと私たちに配慮してくれていることが伝わってきて、とてもよかったです」
 あきらめなかったのは、実は学生たちだ。声をかけ始めたころは、なかなか反応もなかった。が、4月休校→5月オンライン→6月対面(私はオンライン継続)→7月再度オンラインと、授業形態がどんどん変動し、不安が増えていくのだろう。6月下旬あたりから、学生からのLINEがどっと増えた。その内容に悲壮感はない。しかし明らかにSOSだ。その多くは「どうすれば出席扱いになるか」「締め切りはいつなのか」「課題提出の方法がわからない」などなど。
 夜にLINEが来ることもあった。非常識といさめずに、この時間にしかアクセスできない何らかの事情があるのでないかと想像して、対応した。ツールの使い方など、私よりもはるかに知ってるだろうと思う。それでも「わからない」と勇気を出して不安を言葉にしたその心に、ちょっとだけ寄り添う。彼女たちは、少しばかり“段取り”がわからないだけだ。学生の育ちや学びの余地を残しつつ、“段取り”を示すと、実はきちんと対応するものだ。授業終了後から翌週の授業までの1週間に、そんなやりとりを続けると、懐疑的で退廃的だった彼女たちも徐々に心を開くようになる。不安な心、折れそうな心が、ほんのちょっぴり和やかになったのかもしれない。
 「オンライン授業はネット状況によって落ちたり止まったりするのが少し不便でした。でも辻先生は分からないことがあったら直ぐに回答してくださるのでとてもありがたかったです」
 「今考えればオンラインの方が都合良かったなとおもいます。先生が優しくて助かった部分が沢山あり、感謝しきれません」
 オンライン授業といえども双方向的・参加型の運営に苦心した。グループワークが難しくても、自らの考えをアウトプットすることを少し求めた。しかし「学びをオープンに」と言われても、他人との比較や自分が間違いを答えてしまう不安からか、なかなかシェアしない・できない学生たち。おそらく小中高と、他人に認められたり他人を認めたりする経験が薄いのだろう。極端に防衛反応を示す学生がいる。「自分だけがこんな想いなのではないか」「私だけが間違ってるのではないか」全員が今想ったこと、今学んだことを、一斉に入力し、リアルタイムで見える化する工夫をした。履修学生全員の今の考えが、リアルタイムで打ち込まれていくその現象に、歓声を上げる学生たち。他の学生の学びに対して、コメントを促すと、おずおずと入力を始める。自分の学びに対して、他の学生が真摯にコメントをしてくる。それが「新鮮でおもしろく」「授業に参加しているという感じがすごくした」という。
「みんなが作ったツアーや写真を見て、他の人の多様な感じ方や考え方を知る機会ができ、楽しかったです。いつか泰阜村に行ってみたい、もっと知りたいと思える授業で、笑顔になれるような授業でした」
 「対面授業ができなかったのはとても残念だった。しかし、オンライン授業でも先生が熱心に授業をしてくださったのでとても分かりやすく楽しい授業だった」
 「初めての事で最初の頃はオンライン授業に不安があったのですが、徐々に慣れて行く事が出来ました。一回くらいは対面授業で出来たら良かったなぁと思います。残念です。オンライン授業でもこちらが明確に授業目的ややるべき事などが理解出来るような授業の進め方だったのでとても分かり易かったです。特に、授業内でチャットだけでなく、LINEを使ったやり取りは情報がすぐに先生と共有出来てとても使いやすくてよかったです」
 授業内での学生同士の関わりが増えると、私との関わりも増えてくる。それまでは単位をとるためにどうしたらよいかのやりとりばかりだったのが、他愛もないLINEも増えた。正直、若い女子学生の会話にはついていけない自分がいる(笑) でも、そんな他愛もないチャット上の会話が、彼女たちを励ますことにもつながるのだ。そして笑いの絶えない会話は、泰阜村にひきこもる私にとっても、実は励ましにもなったのだ、今想う。
「辻先生、いつも優しく対応してくれて本当にありがとうございました!!!!!!!!!!コロナウイルス収まったら泰阜村行かせてねね!!!!!!!!がちで!!!!!!!!!」
 そして、連絡がとれた学生は全員、試験を受けた。快挙に近いと想う(笑) その試験にもなかなかアクセスしない、コミュニケーションが一番難しい学生が、たった一人で最後の代替試験を受け終えた。それが冒頭の学生だ。私はそのLINEに最後の返信をした。「一度も会えなかったけど、応援しています。これからも、がんばれよ!」
 大丈夫だ。君たちの周りには、君たちを全力で応援する大人がきっと存在する。それを信じて生きよう。君たちもそんな大人になるのだから。いろんな事情や背景を抱えながらも、学びをあきらめなかった短大生に、心からエールを送る。

代表 辻だいち

2020年8月15日
その向こう側にいるひとびとに ~2020年 夏の日に~
 

今日、8月15日。静かに迎えたいと想う日だが、今年はいつにもまして静かだ。
いつもの年なら信州こども山賊キャンプが最盛期を迎えている。「山賊キャンプが中止で…」という言葉や表現をこのところ多用している。その通りなのだからしょうがないが、未練がましく思われるのも本意ではない。
私は山賊キャンプを通して、こどもたちに伝え続きてきた。つきつめて言えばそれは「あんじゃあねえよ」という社会だ。あんじゃあねえとは“大丈夫だ、心配するな”という意味の方言だ。全国の様々なこどもたちがこの信州の山奥に集まって、自然を舞台に遊び尽くす。信州の自然の恵みを、体中に浴びて暮らす。隣の人の声に耳を傾け、支え合って生きる。これらはすべて、実に素朴であるがしかし、確かに「平和」な光景だ。平和というと堅苦しいイメージかもしれないが、私がイメージする平和はこんな「あんじゃあねえよ」という光景でもある。
目の前にこどもはいない。でも、いつだって目の前にだけこどもがいたわけではない。全国各地で講演に呼ばれるが、聴衆のお母さんの向こう側にこどもがいる。協働で仕事をする行政や地域団体の皆さんの向こう側にも。そして9年前に書いた拙著「奇跡のむらの物語 ~1000人のこどもが限界集落を救う!」の読者の向こう側にも。
今年は、それが画面の向こう側になっただけだ。距離のその先になっただけだ。目の前にいようが、向こう側にいようが、伝えることには変わりない。しかし例えばオンラインだからといって、言葉もまた空中をさまよってはいけない。こういう時こそ、地に足を付けた言葉を発しなければ、と強く想う。
世界中が危機を迎えている。国が強くなろうとする時、危機的な状況にある時、常に犠牲になり続けるのは「より弱いもの」だ。75年前の戦争で捨て石にされた沖縄がコロナ感染急増に喘いでいる。3四半世紀(75年)たった今もまた、政府の失政の捨て石にされようとしているかのようだ。核兵器禁止条約に批准せず、黒い雨訴訟を控訴するこの政府は、本当にニッポンの政府なのだろうか。アジアに目を移せば、中国が香港の自由や民主主義を奪うことがあっていいのかと思うがそれが現実だ。そんなきな臭い動きを大人の対応で調整してきたアメリカは、今や大統領が先頭を切って人権を踏みにじろうとしている。SDG’s(国連持続可能な開発目標)は「誰一人取り残さない(leave no one behind)」を謳うが、世界の為政者が堂々と弱者を置き去りにしているではないか。その際に発せられる為政者や指導者の「言葉」は、本当に地に足が着いた言葉なのか。
こんな姿を見せ続けられたこどもたちは、いったいどう育ってしまうのだろうか。こどもたちはどんな「平和」のイメージを持って生きるのだろうか。危機的な状況のしわ寄せは、確実にこどもたちに到達する。
今年の夏、泰阜村にこどもの歓声は聞こえない。しかし、いつも変わらぬ自然の音が聞こえてくる。この地域が紡いできた歴史の音が聞こえてくる。耳を澄ませ。きっと聞こえてくるはずだ。コロナ感染や経済危機、地球温暖化の危機の陰から聞こえてくる呻き声にも似たSOSの声が。絞り出すように小さく悲鳴をあげる弱者の声が。
目の前で勇ましい言葉を発するひとびとの「その向こう側にいるひとびと」のかすかな言葉に耳を傾けよう。そして「その向こう側のひとびと」に、地に足を付けた言葉を届けよう。「あんじゃあねえよ」という平和な社会づくりは、そこから始まる。
2020年、夏の日に。

代表 辻だいち

2020年7月1日
Y-Cafe ~いつでも立ち寄れる場があるという安心感~


今年の6月からCafeをオープンした。Yは「やすおか」のY。そして「ワイワイ」のY。
の、つもりだ(笑)
毎週火・木のランチの時間だけ開店だ。この1か月、実際には誰もお客さんは来ない(笑)。店長?の私や、うちのスタッフたちが、画面の前でコーヒーを飲んだりギターを弾いたりと、ただの昼休みの風景が繰り返されているだけ。それでいいのが、このCafeだ。
Y-Cafeとは、とりあえず大学生のためにオープンしたものだ。ZOOM(オンライン会議室)の部屋をただ開けておく。立ち寄り自由・入退室自由のカフェ的な時空間だ。風景や鳥のさえずりをBGM的に視聴しながらお昼ご飯を食べる。NPOの実態に興味がある人がのぞく。
学生同士のおしゃべりや情報交換など。自由に使ってもらってOK。もちろん、そこには教員である私:辻がいる。だから質問や相談などのオフィスアワー的な使い方もできる。カメラやマイクをオンにしなくてもOK。私に用件がある人は、話しかけてくれてもいいし、チャットでもLINEでもやりとり可能。そんな使われ方をイメージしていた。

さて1か月が経過した。Y-Cafeは、コロナで行き場がない学生のための気軽なカフェ空間でもある。カメラもオンにせず、マイクもオンにしなくても、ただそこに参加してくる学生もいた。それでいい。学生によっては積極的に何かを話す人もいる。私に用件がある学生もいた。6月の前半の火・木のお昼休み、信州の風景をずっと流していた。私もずっとそこにいたわけではないので、ふらっと入室してすぐ出ていった学生もいるかもしれない。でも誰も来なかったかも(笑)
梅雨で雨が降り続く日は、屋内でオープン。そうしたら、無言の学生が入ってきた。スタッフがギターを弾いたり、アクリルたわしを作ったり、こちらの昼食の会話が丸聞こえ(笑)
無言の学生も反応ボタンを押していた。
7月に入る前後では、なんだか少しずつアクセスしてくる人が増えてきた。私が授業を受け持つ大学の学生だけではない。暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生が「久しぶりー」と入ってくるときもある。彼らも大学生だ。確実に昼に開いているものだから、大学のオンライン授業に呼ぶゲストの方と打ち合わせにも使っている。学生にとってみれば、いきなり弁護士や猟師が私と話しているのだから驚くかもしれない。でも、現実のCafeや喫茶店って、そういうものだ。
このCafeが「ワイワイ」「ガヤガヤ」となることはないと想う。それでもいい。行き場を失い続ける学生さんたちに「いつでも立ち寄れる場がある」という安心感を与えるだけでもいい。気が向いたら、どうぞアクセスしてもらえれば(ZOOMのURL教えます)。
私も自由な昼の時間を過ごすつもりでいる。今日も画面の前で、うまいコーヒーを飲んでギターを弾こう。

代表 辻だいち

2020年6月1日
自然と人間の共生 ~オンライン授業だからこそ~


立教大学で春学期(前期)の授業が始まった。「自然と人間の共生」という授業だ。この授業を受け持つようになってから9年の月日が流れた。東日本大震災が発生した時にこの授業を受け持ち始めたのだから、ということは震災から9年ということになる。自然と人間との関係がどうあるべきか? そんなことを「考える」授業が、震災と同時に始まったとは、運命かもしれない。
大学からお願いされた時は、正直迷ったのも事実。なにせ交通へき地の泰阜村は、東京往復に10時間もかかる。1コマ1時間30分ほどのために、本当に10時間もかけて毎週通うのか? 悩む自分の背中を押してくれたのは、信州泰阜村の教育力だった。自然と向きあって生き抜いてきた村のびとびとの暮らし。その暮らしにこそ教育力がある、と信じて27年間、教育活動を続けてきた。この教育力を、若い学生たちにも伝えたい。その想いが「よし、やるか!」と想わせたのだろう。
そして今年。コロナウィルス感染症のため、ご多分に漏れずこの授業も完全オンライン化された。ウィルスもまた自然。ウィルスとの共存を前向きにとらえる局面に入りつつある今、10年目を迎える「自然と人間の共生」の授業を今年もまた受け持つことができるのは、これまた運命なのかもしれない。
ただ、オンライン授業は、いつもと勝手が違う。学生に直接語りかけることができないのは、拍子抜けだ。オンラインなんかでこの信州泰阜村の教育力を伝えることはまず不可能だろう。これは苦しい授業運営になる。と、想っていた。いや、「できない理由」を必死で考えていた、ということかもしれない。
いざオンライン授業をやってみる。ツールはなんとかそろえた。この泰阜村のネット環境は、絶望的に弱い。それでもなんとかなる。いや、それどころか、学生にリアルな泰阜村の自然や暮らしの営みを、そのまま見せることができる。時折、ネットの接続が切れる。少し待つと、200人の学生の顔が復帰してくる。苦笑いだ。しかし、これもまた山村の実情だ。大学の教室でそれをいくら語ったところでなかなか伝わらないことが、一瞬で伝わる。
せっかく山村から生配信なんだから、外に出ないほうがもったいない。信州の山々を見せる。初夏の風のそよぎや鳥の声が、まさにLIVEで学生に届く。その説得力は、私の拙い言葉をはるかに凌駕する。そして、私の講義を以前聞いた学生からはこんな反応もある。「都市部の教室で聞いた時より、はるかに迫力がありました」そうなのかもしれない。私の本拠地なのだから当たり前か。
この9年間は、私の本拠地を離れ、往復10時間もかけてアウェイで話をしていたということになる。今、本拠地の土の上で、太陽の光を浴びて、谷渡る風を受けながら「自然と人間の共生」の話をしている。学生と話ができないのは残念だが、それを補ってあまりあるほどの圧倒的な自然のリアリティを学生に届けることができている。
これまではなかなか東京まで連れていけなかった、この村に息づくひとびと。今度、村最奥の限界集落に住む古老に、オンライン授業のゲストに登壇してもらう。東京まで6時間もかかる限界集落から、なんとLIVEで授業をする。今までは、そんなこと想いもつかなかったし、想ったとしてもやろうともしなかっただろう。泰阜村長にもゲストで登壇してもらう予定だ。彼らは、本拠地の土に立ち、どんな話をしてくれるのだろうか。学生よりワクワクしているのは、私かもしれない。
自然と向きあって生き抜いてきた村のびとびとの暮らし。その暮らしの教育力を、若い学生たちに伝えたい。きっとこの授業を受けてくれた学生たちに、直に会うことはないだろう。それでも私は、伝えることをあきらめない。オンラインだからといって、できない理由を探している場合じゃない。渾身の想いを込めて、毎週PCの前に立とう。

代表 辻だいち